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遺念火 (いねんび)

 沖縄県に伝わる妖怪。

 

  11 遺念火
 遺念火は生前の遺念が遊離して燧火をたてて、一定の場所を往復するものだと云われている。各地にこの火を見る所多く、また見た人が多い。首里市の南の識名の坂を往復する遺念火は本島では先ず有名なものである。なお名護町東江東部の山を往復する遺念火、それに次いで名護町安和、本部村浦崎、羽地村稲嶺、同村伊差川の山頂を往来する遺念火も有名であって、これには幾多のローマンスがある。
 先ず名護町安和の遺念火の由来を述べよう。
 昔、安和に若夫婦が居た。至って善良な人たちで夫婦の仲も睦じく暮らしていた。妻は毎日名護町へ商売に出掛けるので晩は遅くでなければ帰らなかった。ある日夫は妻の貞操を疑い変装して妻の帰りを途中で待ち受けた。彼は何心なくいそいそと家路へ急ぐ妻を引き止め強姦せんと迫った。女は声を限りに悲鳴をあげたけれども、村里離れた処故助ける人も居なかった。彼女は必死となってこれに抵抗し、遂には自分のかんざしを引き抜くや直ちに男の咽喉のどを突き刺して漸く難を免れ、急ぎ家に帰って、この事を夫に話そうとした。けれども家には夫は居なかった。「もしや途中で殺したあの男が夫ではなかったか」と気がつくや、狂人のように、急ぎ引き返した。見るとそこには案の定、夫の死骸が横たわっていた。
 女は悲しみのあまり我が咽喉を突き刺して、死んだ夫の後を追うた。
 貞操を守った女と、貞操を疑った夫の遺念は、一個の妖火となって夜な夜な現れる事にはなったのである。
 同様の話が同村東江にもある。
 昔、久志村の女と同村城の青年とが恋に落ちて二人の中はいよいよ蜜のごとく、遂には死を誓って離れないことを約した。それで女は毎夜二、三里もある久志から嶮しい山路も厭わず男の処へ通いつづけた。二人は人目を憚って毎晩東江の山で会う事にきめていた。そして女が帰る時は、男は炬火きょかを振り翳して途中まで送り返すのが常であった。
 ある大暴風雨の日、女は万難を排していつもの処へ来た。ところがいつも待っているはずの男は影も形も見せなかった。その男は家に居て天をうらみながら、「この暴風雨にはとても来る事は出来まい」と思っていたのであった。ところが女の一念は暴風雨も、物の数ではなかったのである。彼女の失望はこの上もなく遂に狂女のごとくに叫んだ。暴風雨はますます荒れ狂った。彼女は男の無情をののしった。愛の浅薄をかこった。今や彼女の前には何物も形を止めなかった。彼女は簪を抜くが早いか、咽喉を突き刺して哀れ山上の露と消えてしまった。
 翌日は皮肉にも天気はからっとれた。里では誰言うとはなく変死者のある事を伝えた。その男も人々の伝うる変死者の処へ見物に出掛けた。
 女を一瞥いちべつした彼は腰を抜かさんばかりに打ち驚き、死体を抱いて慟哭どうこくした。最愛なる乙女を失った男は遂に意を決してその後を追うた。二人の遺念はいつ消ゆるともなく毎晩同時刻に彼の山頂を往来している。
 付記 この遺念火は事実である。著者もしばしばこれを見ている。

『山原の土俗』 島袋源七 1929

 

十八、イニン・ビー (遺念火) フィー・ダマに同じ。変死人のあった所や墓に現れる。

「琉球妖怪変化種目 ――附民間説話及俗信――」 金城朝永 1931

 

イネンビ 沖縄では亡霊を遺念と呼び従って遺念火の話が多い(山原の土俗)。二つの注意すべき点は、大抵は定まった土地と結び付き、そう自由に遠くへは飛んでいかぬことと、次には男女二つの霊の火が、往々つれ立って出ることである。これは他府県でもよく聴く話で古い形であろうと思う。但し亡霊火と現在よばれて居るのは、専ら海上の怪火のことで、これは郡を為し又よく移動する。

「妖怪名彙」 柳田國男 1938・1939

参考文献

本妖怪事典』 村上健司 毎日新聞社 2000

 

引用文献の底本

本妖怪談義 (現代選書)』 柳田國男 修道社 1956
本 『日本民俗誌大系 第一巻 沖縄』 角川書店 1974
本妖怪談義 (講談社学術文庫)』 柳田國男 講談社 1977
本 『怪異の民俗学2 妖怪』 小松和彦・責任編集 河出書房新社 2000

 


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